てぃーだブログ › 南ふう の MINAMI World

2024年04月21日

『沖縄エッセイスト・クラブ作品集41』出ました!

今年もやっと出ました。
帯文は、
沖縄戦、日本復帰、災害、事件事故、感染症など数々の試練。
自他の体験を書き、語れるようになりながら、今を生きる。

2024年4月1日発行
新星出版株式会社  定価:本体1,364円+税


今回の私の作品は「もう四半世紀!」。よろしければご購入願います。

じつは出稿までが苦しかったので、上の「帯文」となりました。
理由は、私の「あとがき」にあります。

 今年は、「明けましておめでとう」の気分ではなかった。元日の夕方に令和六年能登半島地震が発生、二日にはその被災地を支援するための海保機が日航機と衝突炎上。六日には、孫に会うため来沖したフィリピンのご夫婦が浦添市で交通事故に遭い亡くなった。やるせない年明けとなり、戦争や紛争にも終わりが見えない。
 しかし辛い事実に打ちひしがれてばかりでは、心を病んでしまいそうになる。この作品集の原稿の締め切りは昨年、出稿は一月初旬、やるべきことは淡々と進めざるを得ない。せめて刊行される頃には、さまざまな場面で明るい兆しが見えるようにと願いながらの出稿となった。
 さて、今回の作品集には四人の新会員が加わり、二十七人が執筆した。人生の一片が綴られた作品、そうではない作品とバラエティーに富むが、各人は順風満帆に過ごしてきたわけではなく、それぞれの試練を乗り越えて今を生きている。
 阪神淡路、東日本、熊本などの震災を経て、さらに四年近くのコロナ禍が明け、かつての日常が戻りつつある昨今。もちろんまだまだ道半ばの方もおられるだろうが、歳月は「日にち薬」、これらの災害を思い出話として語れるようになることを願う。

二〇二四年四月

編集委員長 南ふう 

  


Posted by 南ふう at 20:19Comments(0)もの書き活動

2024年04月14日

ゆいレール3両編成

昨日に続き、4月12日に撮った街の風景。
安里交差点は、1970年に国道330号が立体交差になり(安里バイパス)、2003年に開通したゆいレールの軌道は、さらにその上を通りました。

でも実は、すでに戦前に安里は立体交差していました。
大正3年開業の沖縄電気軌道(路面電車)が崇元寺通りを首里に向けて走っていて、昭和11年にできた軽便鉄道嘉手納線は、線路を高架にして路面電車の上を通していたんです。
私はここを「土地の記憶」が顕著な場所だと思っています。

前置きはさておき、この場所の写真を撮るため歩道橋に立っていて、背後のおもろまちの方からモノレールの音が聞こえてきました。何枚か連写し、帰宅してはじめて気づきました。3両編成だったんです。


ずっと2両編成だったゆいレールは、この4月1日から混雑緩和のため通勤時には3両編成となっています。
でもこの写真を撮ったのは朝の11時過ぎ。通勤時間帯ではありません。
な~んかラッキーな気分です。
  


Posted by 南ふう at 11:07Comments(0)歴史地域暮らし

2024年04月13日

城岳探検

最近、身近な場所の昔と今を比較する写真を集めていて、今の写真を撮りに時々ふらりと出かけます。
昨日出かけた場所のひとつは、那覇高校のすぐ近くにある城岳(じょうがく)。
ここ、私が幼い時には遊園地がありました。
現在は芝生幌場になっていて、木陰で寝転ぶ人がひとり、ふたり。
ここで興味深いものを見つけました。

ひとつは「二中健児の塔」。那覇高校は戦後6・3・3制になってから改称されたもので、戦前は沖縄県立第二中学校でした。きっと激戦で命を落とした学徒たちのために建てられたのだと思います。
その傍に献木の柱があって「県立二中二十七期十六会」とあったのでちょっとびっくり。私は那覇高校27期です。同じ27期というのが奇遇でした。


次は、ひっそりと建つコンクリートの社。その傍に、こう書かれた碑がありました。


城嶽は樹木蓊蔚往古よりの霊地にして六百年程前に貢船舟子達の居立する所で當地方住民の御守護海上の安全を祈願する拝所である
毎年旧三月六月九月作物豊穣の為旱魃之時は雨气祈願を執行せる拝所なり
一九六二年三月十一日 旧二月六日



1962年、つまり今から62年前に奉納された石碑(コンクリート製)ですね。
今でも旧暦3月・6月・9月にご祈祷がされているのでしょうか。

3つ目は、途中でストップした園路。
以前、何度工事をしようとしても事故が起こってしまい、「そこが霊的な場所だから」ということで断念した話をどこかで聞いた記憶があります。それがこの茂みの下にある岩なのかも。


結局自然発生的に生じた土の園路を歩くと、反対側の園路も途中で止まっていました。


なかなか面白い城岳探検でした。

  


Posted by 南ふう at 10:45Comments(0)歴史暮らし

2024年04月08日

久々の「お薄」

島根県の方が一時帰省され、お土産を持ってきてくださいました。
松江はお茶どころだそうで、お茶菓子も美味しい。
あまりの美味しさに、「たまにはこの上品な雰囲気を楽しまなアカン」と。

さいわい、少し古くはなっていますが、お抹茶が冷凍庫にありました。
ヨーグルトに混ぜたり、アイスクリームにかけたりと、ろくな使い方はしていませんが、薄茶を立てる3回分ほどは残っていました。
これが最後の一服です。


いつもガサツな生活をしているオババも、しばし心を落ち着けて、最後の「お薄」です。
抹茶茶碗、茶筅、懐紙はかろうじてあるけど、あとはポットとかフォークとか、あるもので代用。
  


Posted by 南ふう at 16:15Comments(0)暮らし

2024年03月23日

第75回 沖展

先日(3/21)に高校時代の友人との飲み会があり、クラスメイトだった桃原さんが沖展に入選したことを知りました。残念ながら賞はとれなかったけど、とりあえず入選が目標だったということです。
さっそく行ってみなければ、と翌日前売券を買い、3/23~4/7の初日の朝一番で会場へ。


入口で、「撮影禁止なのは染色と織物で、それ以外は撮影OKです」と伺いました。
彼の作品は絵画です。
入ってわりとすぐにありました。作者名が見えない距離から「あ、あれかも」と思って近寄ると、ピンポン!


タイトルは「ヒレーの浜」。今度会う時にどこの浜か聞いてみよう。
私は、抽象画はなかなか理解できないので、具象中心に見て回りました。
印象に残ったのは、2枚。
1枚は、純粋な具象画ではないかもしれませんが、平面なのにすごく立体的に浮き出て見えて、一際目立ったアジサイの絵(タイトル忘れちゃった)。


それと、「家路」というタイトルの絵。遠景に勝連半島が見え、中景の街は午後の陽ざしを浴びて白く輝いています。これまであまり見たことのない構図、発想だと思いました。


グラフィックデザインで印象に残ったのは「カラフルなチェス」。私は単純で分かりやすいのが好きみたい。


意外だったのは、彫刻の部にあった「水影」というもの。普通はガラスの部に入ると思うのに、「へえ、彫刻なんだ…」と。


朝一番で入った時にはとても人が少なかったのに、だんだん増えてきてここからは写真を撮ることが難しくなりました。

ほかに彫刻の部で面白かったのは、集成材で造ったと思われる「チンナン」。一木から彫らなくてもこれでいいんだ、むしろ集成材の寄せ感というか、すごく特徴を生かしていると思った作品でした。

写真の部で、北極星を中心にした空と道路の車のライトの軌跡を撮った作品が面白かった。それは受賞作だったのですが、その写真の前に陣取っている数人がいて、受賞したことに苦情を述べ合っていたのがちょっと笑えました。「この左上は入れない方が構図がいいのに」「そうだよ、あそこは無駄だ」「審査員はそれを分かっていない」…。
まあ、芸術なんてそんなもんですよ、好みがありますからね。だって私がいいなと思ったのはほとんど受賞していません。

色々刺激をもらった沖展でした。
  


Posted by 南ふう at 12:01Comments(0)地域暮らし

2024年03月21日

春分の日の翌日

昨日の春分の日は、風が強くてけっこう寒い日でした。
今日は久々に浦添市立図書館に出掛けましたが、まあ、雲一つない青空でポカポカ陽気。


もう春だなあと嬉しくなりました。
春は花粉症で辛い人も多いけど、沖縄にはスギ花粉がないですからね。

朝は関東で地震があったり、大谷翔平さんのマネージャー解雇のニュースでショックを受けたりしてましたが、これからどんどん日が長くなるから、少しは気分も晴れますかね。
  


Posted by 南ふう at 15:20Comments(0)季節

2024年03月09日

鉋屑で作った縄

今日は、宮大工の方への取材でした。
そこで戴いたのが、この縄。


カンナ屑を綯って作られたそうです。御縁がありますように、と縁結びされたと言っていました。ありがたい。
首里城正殿に用いられた木材のカンナ屑、大事にします。

それにしても薄いし、長~い削りです。綯う時にポロポロと砕けないように、まず濡らしてから綯っていくとか。
  


Posted by 南ふう at 21:42Comments(0)

2024年03月02日

首里城正殿を間近で見学

正殿再建をされている宮大工の方とお知り合いになり、見学会に誘っていただきました。
工事関係者の身内とか関係者とかの枠に入れてもらって、一般の観光客では入れない素屋根の中に入れることに。
ヘルメットを被り、軍手をはめ、いざ出陣。

道具類はびっくりするほどたくさんあります。親指ほどの大きさの鉋(かんな)とかも。

鑿(のみ)もこんなに。

その一つひとつに、刃を収める手造りケースも作られています。切れ味抜群でしょうから、ケースがないと持ち歩くのが危ないですよね。
一番右のケースには「令和五年五月壱日 首里城復興工事 柱貫穴加工 設え 六十四歳」とあり、記念として書いたそうです。

道具は造作に合わせてどんどん増えるので、古い箪笥を利用して収納する場合もあるとか。


下の画像は唐破風に用いる材で、曲げてあるのではなく、一本の木からこの形を切り抜いているそうで、それほど太い材だったのです。


前に素屋根の外にある見学エリアから見た時は、足場を外した屋根の骨組み全体が見えたのですが、今はまた足場が組まれていました。
これから瓦を葺いたりと、また屋根の工事が始まるわけです。


2階部分から見た屋根。この上に直接瓦を載せるのではなく、柱の上の方に見えているホゾにまた材を繋ぎ、そこから垂木を作っていくそうです。


「ということは、今見えている屋根との間に空間ができるのですか」と聞いたら、「そうです」と。

3階から見た屋根。実際はもっともっとすごい迫力です。「大きい~」という声があちこちから。


1グループ40名ほどいたので、あまり質問もできませんでしたが、こんな近くから見ることができ、素晴らしい体験でした。

追記:「見学会」と書きましたが、夕方のニュースによると「宮大工体験」だったみたいです。
たしかに数人は鉋を使ったりしてましたけど、私は見学オンリー。  


Posted by 南ふう at 17:18Comments(0)歴史地域

2024年02月29日

豪華クルーズ船

昨日の朝、天気予報の画面に那覇港の遠景が映っていて、一瞬ですが那覇の若狭バースに寄港している船が見えました。
最近、プライベートで企画をしていることがあって、泊大橋と若狭バースの豪華客船の写真が欲しいと思っていた所でした。

念のためネットで那覇に寄港する客船のリストを検索。とにかく便利な時代です。
入航日時2024/02/28(水) 07:00 、出航日時2024/02/28(水) 19:00 、バース 泊8号、船名ADORA MAGIC CITY 1、総トン数35,500 、全長287.1 、運航経路 上海-那覇-上海。

朝入ったばかりの船をテレビ画面で見たわけで、午後7時には出航してしまいます(若狭バースは「泊8号バース」が正式名称なのですね)。

曇りがちの天候は気になったけど、とりあえず行ってみることに。
泊大橋の近くで、駐車しても邪魔にならない路地を探し、こっそり停めました(どうか駐車違反の取り締まりが来ませんようにと願いながら)。
そこから徒歩で泊大橋を渡り、若狭バースまで往復しつつ写真をたくさん撮りました。
さすが全長300m近くもあるデカさ、遠くからでないと全体が撮れない。


多数の写真から少し抜粋。最後に橋の下からも撮りました。


空模様はいまいちだったけど、まあ使えそうな写真が撮れました。
昨日1日の歩数は約9千歩。
  


Posted by 南ふう at 09:54Comments(0)地域

2024年02月16日

沖縄にイチョウが!

今日はまた少し冷え込んでいますが、昨日は夏日のよう。
そんな昨日の午後、所用で歩いていたら、なんと色付いたイチョウを見つけました。


誰かが歩道にある緑地帯に植えたのだと思います。
沖縄で初めて見たイチョウは、ヒョロヒョロした幹でしたが、ちゃんと育って紅葉もしていました。
へえ、沖縄にもイチョウが…と、思わず写真を撮った次第。
  


Posted by 南ふう at 12:02Comments(0)植物

2024年02月15日

ローゼル川田さんおめでとう

昨晩(2024年2月14日)は、ローゼル川田さんの山之口貘賞授賞式でした。
本来は去年の8月予定だったのですが、迷走台風6号のため延期に。

昨晩は、その貘賞だけでなく、琉球新報短編小説賞、琉球俳壇賞、遠藤石村賞、琉球歌壇賞、琉球新報児童文学賞の合同贈呈式だったため、受賞者がズラリ。



ローゼルさんは詩人としての表彰ですが、私たちの沖縄エッセイスト・クラブの会員でもあり、会員数名でお祝いに参加した次第です。

おめでとうございます!

行ってみて、もう一人の知人が受賞されているのを知りました。
中本清さんが、俳句で遠藤石村賞を受賞されていたんです。
彼もローゼルさんも建築家。感性が優れているのかもしれませんね。

  


Posted by 南ふう at 09:45Comments(0)

2024年02月07日

首里城、意外と人気

昨日、朝一番に首里城に向かいましたが、駐車場が満車で諦めて帰ってきました。
今日は1時間ほどずらして行ったけど、また満車。
どうしようかなあ…と考えた末、首里城から徒歩で15分ほどの所にある友人宅に車を置かせてもらいました。

沖縄観光オフシーズンの冬に、こんなに首里城に人が行くのはなぜでしょう?
去年の夏に京都からの友人と行った時は、満車なんて程遠かったのに?
もしかしたら、オンシーズンの夏は若い人が海を目当てに訪れ、オフシーズンの冬は年齢層が高くなって首里城が人気なのかもしれません。

首里城は「見せる再建」として、正殿再建の工事をギャラリーから見ることができます。
去年(2023年)12月に、棟木がすべて架けられて屋根の構造が姿を現しました。ずいぶん形ができてきた感じですね。


ギャラリーの窓の内側には、宮大工の仕事の緻密さを示すように、薄く削ったカンナくずで作られたバラの花などもあります。


さて、私は偶然耳に入る観光客の会話も、案外楽しい。
「結局、原因は煙草?」
「いや、漏電だったんじゃない?」
「そうだよね、煙草だったら、もう今頃……」
と、火災原因を話し合う人がいると思えば、首里城公園の概要を説明する動画を見ながら、こんな会話も。

「首里城公園完成が2019年って? つい最近じゃん」
「え、燃えたのも同じ年? やっとできてすぐ燃えたの?」
「復元に30年かかったって言ってたよ」

私はそれを聞きながら、動画の解説がよくないなあ、と思います。
正殿が復元されたのは1992年、30年は建っていました。1992年から徐々にいくつかの建物が復元されて、最後の御内原が完成したのが2019年。
正殿がすぐ燃えたわけではないんですけど……。
  


Posted by 南ふう at 21:36Comments(0)歴史

2024年01月23日

ちゃっぷいちゃっぷい

どんとぽっちい…
昨日から急に冷え込み、そんなフレーズが、ふと頭に浮かびました。
若い人には「なんのこっちゃ」ですが、
むか~し流行った、使い捨てカイロのテレビコマーシャルです。

1983年CM 金鳥 金鳥どんと 縄文人編 桂文珍 西川のりお (youtube.com)

あのコマーシャルからもう40年以上経ったんですねえ…。
もちろん沖縄での冷え込みは大したことありません。元来暑がりの私は、沖縄でカイロを買ったことはないし、ヒートテックなるものも去年までは無縁でした。

いやいや、でもこの寒波で、日本列島は冷凍庫のようになって、能登半島には警報級の大雪となる模様。ほんとに泣きっ面に蜂、気の毒で仕方がありません。

と、これを書いている今、東北・上越・北陸の新幹線が停電で運休しているというニュース。
沖縄で寒いなんて言っていたら、バチが当たりそうです。
  


Posted by 南ふう at 12:02Comments(0)季節暮らし

2024年01月22日

四人で台湾へ(5)

1/14(日)の午後、富貴角の次は淡水です。
出発前に淡水を調べていて、ここはスペインからオランダ、清朝、イギリス、そして日本と次々に支配が入れ替わって行った台湾の歴史の詰まった地区だと知りました。
観光のメインは「紅毛城」、その周辺は歴史的建造物が密集しているようです。

紅毛城に入園して最初の建物(西側)が官邸。


奥の建物(東側)がイギリス領事館として機能していたようです。領事館は当時のインテリアがきれいに再現されていて、なかなかよかったです。




観光タクシーのTさんと待ち合わせした場所には、独特な石造りの建造物があり、「原領事館船屋舊址」と書いてありました。元領事館船屋旧蹟という意味でしょう。今は自転車置き場として使われています。とにかく台湾は古いものを壊さずに、大切に使っているのです。


ところで出発前、調べている途中にとても気になった人物がいました。ジョージ・マッケイという牧師で、彼は「片手に聖書、片手にペンチ」を持ち、虫歯の治療やマラリアの特効薬・キニーネを処方しながらキリスト教の伝道と住民の福祉・衛生・教育に力を入れた人でした。
台湾は我が故郷—— カナダ人宣教師 ジョージ・L・マッケイの思い - Taiwan Panorama (taiwan-panorama.com)

2022年にはMRT淡水駅構内で「マッケイ淡水上陸150周年」展覧会が開かれ、記念切手も発行されているほど、淡水の歴史文化に影響を与えた恩人のような人。
なので、マッケイゆかりの地を訪ねたかったのですが(建物なども)、午前中にメジャーな観光地「野柳地質公園」でかなり時間をとってしまっていて、時間がありませんでした。

淡水老街で遅いお昼をとるために下車し、淡水名物の「阿給(アーゲイ)」と「魚丸湯(ュイーワンタン)」を頂きました。なかなか美味しかったです。

Tさんに拾ってもらう場所で、マッケイの銅像がありました。


やっぱり、そこここにマッケイ牧師を慕う気持ちが表れているように思います。

そこから桃園空港へ。けっこうなラッシュで、通常なら1時間かからない距離が、2時間近くかかりました。ドライバーのTさんが気をもんでいるのがこちらに伝わり、私もハラハラ。
桃園空港はとてつもなく広いので、出発の3時間前には着きたかったけど、2時間前に着いて、それでも充分間に合ったので、よかった、よかった。
これにて台湾四人旅は無事終了。
  


Posted by 南ふう at 17:31Comments(0)歴史

2024年01月21日

四人で台湾へ(4)

1/14(日)は、朝から観光タクシーで北部を回り、最後は桃園国際空港に降ろしてもらうスケジュールです。
基隆は私の母が小学生の頃住んでいた場所。祖父が専売局職員でしたから、かつて専売局官舎があった場所へ。今は小学校になっています。

よく見ると「防空避難」のサインがあり、台湾海峡有事が頭をかすめてしまいます。

基隆から台湾最北端の富貴角灯台に行くのが私の希望でしたが、ドライバーのTさんがその前に野柳地質公園を見た方がいいと勧めてくれました。ここは有名な観光地。


この周辺の岩が風化して奇妙な形になっているのが「売り」で、特に有名なのが「女王頭(クイーンズヘッド)」。ただし、有名なだけあって、岩をバックに記念撮影をしようと、ずらりと列をなしています。
少しだけ並びましたが、途方もない時間を要しそうなので、遠くから1枚撮って退散。


駐車場の辺りには海産物(特にイカ)を焼く匂いが、プンプンで、さすが観光地!

実は私が行きたい富貴角灯台は、さほど知名度は高くなく、ドライバーのTさんも「何で富貴角を知っているの?」と私に質問。
「地図を見ていて、台湾最北端の灯台に行きたかったから」と答えておきました。
ここには軍事基地もあります。


Tさんの話では、軍事基地は密入国者の監視もしていて、30年ほど前は大陸からの密入国が多かったそうです。今は中国も豊かになっているのですが、30年前はまだ貧しい人々が多く、台湾で仕事をしようとやって来たのだとか。
「ここが台湾海峡です」とTさん。


一度は見ておきたかった場所です。富貴角灯台、来れてよかった!



  


Posted by 南ふう at 18:25Comments(0)歴史

2024年01月20日

四人で台湾へ(3)

思い出の台中はだいぶ堪能したし、宮原眼科(酔月楼)も行ったし……13日は予定を変更して、朝ホテルで朝食後、すぐに台北に行くことにしました。
ところで13日は台湾総統選挙、前日まで選挙戦で騒がしいと思っていたのですが、台北ではなく台中にいたせいか、選挙の影響はまったくありませんでした。
日本の選挙と違って宣伝カーもないし、街中にポスターもペタペタ貼られてない。テレビとかでの討論はあるんでしょうが、街の静けさにはちょっと拍子抜け。



台中の新駅と旧駅。新駅にはトンボの大きなオブジェがありました。
台鉄「台中」駅から「新烏日」駅へ。そこから歩いて高鐵「台中」駅へ、そして「台北」へ。



台北駅からタクシーで故宮博物院に直行です。
入口で荷物をロッカーに預け、約2時間半見学しました。見ごたえありました。ただ有名な「翠玉白菜」と「肉形石」は貸出中。
館内のスナック「閑居賦」でサンドイッチの遅い昼食。
そこからタクシーでゴールデンガーデンホテル(蒲園商旅)へ。

この旅は四人だし、割り勘すれば意外に安くつくので、タクシーを使うようにしました。
出発前にネットでMKタクシーが提携している台湾のタクシー会社「和雲行動服務」を予約、有名な観光地、九份へ(5時から4時間チャーターで4,700元)。押し合いへし合いの人出ですので、人の入らない写真を撮るのに一苦労。


高齢者ですけど、四人とも脚はまあまあ達者。ず~っと階段を上っていって辿り着いたのは小学校。


ここは私の母の姉の夫(すなわち義理の伯父)が、戦前勤めていた小学校、もちろん建物は新しいですけどね。
この旅は、そういう思い出の地巡りです。

帰りに小さな食堂に入りました。小籠包がすごく美味しかったです。
饒河街観光夜市で夕食をとるつもりでしたが、けっこう疲れたのでホテルに直行、そしてホテル近くのレストラン「辣鼎記」という店(麻辣鴛鴦火鍋)へ。
サービスも味も良かったです。

  


Posted by 南ふう at 18:50Comments(0)歴史

2024年01月18日

四人で台湾へ(2)

そもそもこの旅は、台中生まれの叔父が、自分の生まれた町を訪ねてみたいということから決まったものです。

私は、日本統治時代の台湾の地図を持っています。戸籍謄本からこの叔父(M叔父)、叔父の妹(M叔母)、叔父の弟(S叔父)の生まれた所を旧地図で調べ、現在の地図上に落としていました。
台湾は、日本統治時代の区画をほぼそのまま受け継いでいるので、現在の町名は違っていても、昔の場所が特定できるのです。

1月12日の午後からは、台中市内の散策。
M叔父の生家は昔の幸町。昭和15年のことでした。戸籍によると、それからM叔母の生家(錦町)、S叔父の生家(新富町)と引っ越したことが分かっています。

幸町ではM叔父はまだ0歳児ですから、家族から聞いた話しか覚えていません。話の通り近くに女学校(現在も学校)がありますが、周辺にも記憶や面影がない様子。
錦町も、日本時代の木造建築は少し残っていましたが、あまりピンと来ないようでした。


でも最後の新富町はM叔父が5歳頃だったので、記憶が蘇ってきました。
新富町では、彼の父親(すなわち私の祖父)が商売をしていたことは聞いています。
旧新富町には現在も市場があり(臺中市第二市場)、その建物の中に入ってみました。


中は、昔の那覇公設市場の雰囲気にそっくりでした。
そして叔父は「たしか、この辺で遊んでいた」と記憶が呼び起こされて、とても喜んでくれました。

台湾は日本時代の建物をとてもよく保存修復して使ってくれていて、臺中市役所もそうです。


旧新富町から駅に向かって戻る途中にも、すごく古いビルがあり、そこに「臺中市第四信用合作社」の55周年を祝うような横断幕がありました。とにかく古いものを大切に、大切に使っています。


古い建物と言えば、台中では「宮原眼科」が有名。ここでは翌日(13日)に昼食と思っていたのですが、予約のためにサイトを見ると、13日(土)だけが休業日となっていました(台湾総統選挙のせいかな、と勝手に推測)。


そこでこの12日に、アフターヌーンティーとなりました。眼科といっても、「酔月楼」というレストランです。


前(2017年)に来た時より装飾が派手。どうやら旧正月を意識しての装飾のようです。
ランチタイムではないので、人が少なくゆっくりできました。
窓の外には、以前は工事中だった「緑川」が親水公園として景色を彩ってくれていました。


宮原眼科の3階は展示スペースとなっています。


宮原武熊(鹿児島県出身)という眼科医の足跡などが展示されています。ヨーロッパのあちこちに留学し、大正から昭和にかけて台湾で眼科医・実業家・政治家としても活躍していたようです。

1923.02―1923.10
為從事學術研究・同時在傳染病研究所就學・並出差到沖縄縣那覇市開業

と書かれた部分もありました。
「学術研究に従事し感染症研究所に留学、起業するために沖縄県那覇市に出張して開業」ということ、沖縄でも数ヶ月眼科を開業していたようですね。1923年といえば大正12年、関東大震災の頃です。

酔月楼のスイーツ類ですっかり満腹になり、この日の夕食は夜市に行く予定でしたが、抜きました。
高齢者の旅行ですから、無理して歩いていては後に響きます。
  


Posted by 南ふう at 13:54Comments(0)歴史

2024年01月17日

四人で台湾へ(1)

私の亡母は台湾育ち、叔父(84歳)は台湾の台中生まれ。
ということで今冬は叔父夫婦と姉、私の四人で台湾旅行と相成りました。
1/12(金)~1/14(日)の二泊三日、台湾総統選挙の日をまったく意識せずに組んだ日程でした。
移動手段や所要時間などはすべて私が組んだので、頭がパンクしそうな日々を過ごした後の出発です。

さて、まず前日の夜、東京から来沖した姉を迎えに浦添前田駅へ。


翌朝早く那覇空港で四人が合流し、8:15発のピーチエアラインで台湾の桃園空港へ。入国審査と両替後、台中に向かいます。
桃園空港(第1ターミナル)からMRTで高鐵「桃園」駅へ。
桃園MRT空港線 片道25元 乗車時間約20分。
高鐵 桃園→新竹→苗栗→台中。
高鐵「台中」から台鉄「新烏日」へ乗り換えのため歩き、そこで昼食。
牛肉麺というのを頂きました。美味しかった。

台湾でややこしいのは、高鐵(高鉄)=台湾新幹線、臺鐵(台鉄)=在来線、同じ台中駅でもかなり離れていて、老化した頭では大変。


しかも、台中駅が数年前に新しい駅舎になっていて、私が以前降りた旧台中駅とはまた違うのです。旅程を組むため調べていて、ほんとに頭がパンクしそうでした。

荷物を新台中駅のコインロッカーに預け、現在「臺中驛鐵道文化園區」として保存活用されている旧台中駅(日本時代に辰野式建築として建造)へ。








1月12日は台中を歩いて堪能しますが、とりあえず今日はここまで書きますね。

  


Posted by 南ふう at 18:38Comments(0)歴史

2024年01月01日

2024年

月並みですが、あっという間に1年が過ぎました。
恒例の黒豆と御雑煮、ちょこっとしたお正月準備を終えました。

今年の鏡餅は、いつも買っている100均のものが品切れで、コープで購入。
家にあった紙で扇飾りをつくり、色の合いそうなお皿の上に飾りました。


2024年、個人的にいろいろとやりたいこと、書きたいことがあります。
健康に留意しよう。
個人的なことはともかく、今年は少しでも平和の兆しが見えますように。
  


Posted by 南ふう at 00:01Comments(0)季節

2023年12月29日

浦添市の市民ホール

浦添市の市民ホール、元々は「てだこホール」だったのですが、数年前にネーミングライツによって「アイム・ユニバース てだこホール」という名称になりました。
昨晩、そこで演劇があったので観に行きました。

ここのエントランスは、ライトアップされた夜景がとても洒落ています。
小雨が降っていて、路面も少し輝いていました。


このホールは大ホールで、演劇があったのは奥にある中ホールなのですが、あまりに照明が奇麗なのでついつい撮ってしまいました。

もちろん演劇「亀岩奇談」も面白かったです。
  


Posted by 南ふう at 23:23Comments(0)地域