てぃーだブログ › 南ふう の MINAMI World

2012年05月12日

デイゴの写真を撮ろう

お会いする度に、「デイゴの花が咲かなくなった」と嘆かれる、元理科の先生がいます。ヒメコバチにやられているのだそう。
「県花なのに、何故みんな無関心なんだ」と憤慨しておられるので、「たとえばデイゴの花の写真コンクールをマスコミの主催でやってもらうのはどうでしょう?」と提案したのは、もう3年ほど前のこと。
顔の広い元先生のこと、伝手はありそうです。

メリットはたくさんあるはず。

まず賞品や賞金がでるとか、賞という名誉があると、人は積極的に動きますよね。

それから自分の身近に、花の咲くデイゴがあるかないか、知ることができます。

以前は咲いていたのに咲かなくなった場合、なぜなのかと関心が高まり、ヒメコバチのことを知るでしょう。

毎年写真を撮ってもらうことでデータが集まり、被害の進行状況が分ります。

どうしたら被害を食い止められるのか、みんなの知恵が集まるはず。

美しい花を咲かせるデイゴを、わが町のシンボルとする所や、天然記念物にするなど、県花に相応しい扱いがでてくるかも。

元先生は、「そりゃあ、いい」と言いながら、行動なさらない。
先日も同じように嘆かれていたのですが、何度も同じことを提案するのに、ちょっと疲れ気味。私はそこまでヒメコバチ撲滅運動に積極参加したいとは思ってないですし。

でも、今年きれいに咲いている浦添運動公園のデイゴは、撮っておこうと思いました。先週見た時は、蕾のようすから「来週かな」と思ったのですが、今日行ってみるともう葉がでてきています。なので、これ以上は無理かな。

公園内から撮ったもの。並木のうち、3本が花を咲かせたようです。



外の歩道側から撮ったもの。アップにすると満開のように見えますね。



  

Posted by 南ふう at 20:52Comments(0)植物

2012年05月06日

スーパームーン

今日の夕方、ちらりとニュースでやってました。
今夜の満月はスーパームーンというそうです。
地球にうんと近づいていて、大きく見えるんだとか。

東向きのベランダなので、ラッキーです。
大河ドラマを見終えて出てみたら、ほんとに大きい!

三脚もないので、ベランダの手すりにカメラを置いて撮ってみました。
この写真では月の大きさなんか、分りませんね。
だいたい素人写真だから、月、ぼけてるし。



でも晴れててよかったです。  

Posted by 南ふう at 21:49Comments(2)季節

2012年05月05日

ダイヤモンド・タッチュー

ゴールデンウィークの一日は、晴れたら備瀬に行こうと思ってました。
今日5月5日、晴れ。
決行です。

実は、4月中旬から5月中旬にかけて、この海岸から、タッチューの頂上に夕日が沈む、ダイヤモンド富士ならぬ、ダイヤモンド・タッチューが見られるかも、という情報を得ていたんです。

駐車場に車を止め、備瀬の海岸を北へ南へウロウロ。
お、もうすぐだぞ。


しかし、ハタと気付きます。この位置からだと頂上には沈まないぞ。もっと南へ移動しなきゃ。
でももう南端で、あとはフェンスがあり、その先には行けません。え~~~っ!!

諦めない私は、フェンスの向こうにエメラルドビーチがあるのを見て、フェンスを大回りして走りました。
ゲートには三角ポールが置かれ「関係車両以外立入禁止」。そう、もう夜になるのでビーチはおしまいなのです。
でも、そこは徒歩の特権。
「すみません、タッチューに沈む夕日を撮りたいので、少し入れてもらっていいですか?」
と警備員さんに断って、また走ります。



もっと南へ、もっと南へ。

間に合いました。頂上に沈む夕日です。美しい!



  

Posted by 南ふう at 22:08Comments(0)季節

2012年05月02日

もうひとつの記念誌(7)

合同エッセイ集に載せた「もうひとつの記念誌」には、続きがあるんです。
それを書いたのが、沖縄エッセイスト・クラブの会報「がじまん」への当番エッセイ(2012年2月20日発行の第232号)。
これをもって、やっと完結したというわけ。

カラダは正直である
南 ふう

合同エッセイ29集『栴檀』に、「もうひとつの記念誌」という原稿を提出した。勤務先の記念誌編集顛末記と、自分史の二重構成のエッセイ、「無事入稿となるだろうか」と結んだ。これはその後日談となる。

入稿予定の十二月初旬には果たせず、どうにか大半は中旬に渡せたが、「レイアウトに影響するので早めに欲しい」と催促を重ねた原稿が私の手元に来たのは、年末だった。

大幅な遅れで、製作現場は戦場と化している。煩雑な原稿はミスを誘発するため、「最終原稿の一部は一月十二日の初校時点で入稿する」と出版社に話をつけた。私は原稿の整理のため、そして出版社のスタッフは創立記念日に間に合わせるために年末休暇を返上し、二月中旬の出版に向け全力疾走していた。

締切遅延で胃が痛いのに、さらに初校直前、別の人から芸術家のひらめき。「建物の作品集をカラーで追加したい。いいものを作るには多少遅れてもいい」と。私の胃は悲鳴を上げた。カラー写真は空模様がいのち。季節は最悪。プロ野球のキャンプシーズンは雨が多く、撮影困難は目に見えている。

そしていったん緊張の糸が切れると、業務優先で撮影を後回しにするうち年末が近づいてしまい、「創立四〇周年が過ぎてしまう」と慌てるのがオチ。期限を切らない仕事は成就しにくいうえ、出版社と交渉すらできない。ようやく写真の納期は二月十五日という期限を引き出した。出版は三月末、記念日を一ヶ月半過ぎるが、許容範囲だろう。

さあ、それからが大変。少しでも太陽が覗くと手分けして撮影に走った。時間帯によっては逆光になる、目的地に着いたら曇る、貴重な晴れ間にはベランダに布団、葉は冬枯れで茶色、修復工事中…悪戦苦闘の末、団結力と駆動力で何とか間に合った。

芸術家ではないが、かつて私もクリエーターの端くれだった。追い詰められながら達成していく高揚感も分る。たしかにカラー16ページ分の作品集追加で、記念誌のグレードは上がった。だが「もっと早く計画していたら、秋晴れの日に効率的に撮影でき、出版社にも迷惑をかけず、記念日にも間に合ったのに」という気持ちは消えない。

ウチナーンチュは計画性がないと言われる。ナマナマーでは戦略的な仕事はできない。では土壇場にでるひらめきと、計画性は両立できないのか。できる。自分自身の締切りを実際より早く設定する癖をつけ、早めに自分を追い込めば良い。脳は騙すことができるのだ。

締切厳守も達成できるし、余った時間はフィードバックに用いることができる。結果、質的に向上する。またシミュレーションを繰り返すことで、ナマナマーは克服できるのだ。

先週末、ヘアカットに行くとなんと円形脱毛症だったことが判明。カラダは正直である。  

Posted by 南ふう at 20:00Comments(0)もの書き活動

2012年05月01日

もうひとつの記念誌(6)

追い込み

私の担当である第一章の目処が立ち始め、第二章の原稿待ちの間、使用写真の検討を始めた。見開きページには画質のいい写真、特定の建物でなくイメージ的なもの、などの条件も出てきた。七年前に買った私のデジタルカメラはそこまでの画素数はなく、これを機に買い換えた。

十月最後の土曜日、これ以上ないというほどの快晴に恵まれ、買ったばかりのカメラを手に飛び出した。太陽の位置を考え午前中は西海岸、午後は東海岸と車を走らせる。

仕事でつぶれる休日も苦にならなかった。就眠優等生の夜も戻ってきた。四十年間のスナップ写真を、思い出アルバム的に並べることも提案し、写真を探しまくった。スナップ写真、作品写真、アナログとデジタル、延べ千枚以上見ただろう。二百枚以上のスナップ写真をスキャンした。眼精疲労でボロボロだったが楽しかった。久しぶりにクリエイティブな仕事している感があった。

実は、私は総務という仕事に向いていない。顔と名前、声を覚えるのがとても不得手で、電話も苦手だ。そもそも女性的な脳の持ち主ではないらしく、「ながら」作業が難しい。女性は男性より脳梁が太く、様々な情報を並行して処理するのに長けていると聞いたことがある。昔から井戸端会議で情報交換しながら家事をこなし、子育てをし、夫の面倒をみることができるのは、おしゃべりをしながら雑事をこなせる能力のおかげだと思う。これは女性蔑視ではない。私にとって、雑務を難なく「ながら」でこなす女性の能力はうらやましい。

私自身は総務の仕事を重荷と感じ、かなりの努力でやっとこさっとこ可能にしている。じっくり集中しなければ仕事をできないタイプの人間で、総務はその対極にある。マイペースなど以ての外、計画を立てて進めている業務でも、常に突発的な仕事でペースを乱され、パニックになる。電話やファックスの電子音のない世界に逃げ出したい気持ちだし、慌てて作成した書類に数字の間違いがあって社員に迷惑をかけたこともある。

そんな私だが、いやそんな私だからこそ、こと記念誌に関しては納得のいく仕事がしたかった。何でもいいから作ればいいんだよという声への反発もある。少なくとも社のイメージダウンになる記念誌は出せない。過去グラフィックデザインと編集に関わってきた私のプライドでもある。

担当者が仕事の合間に執筆する原稿は、予想通りとはいえ、こちらの要望する期限には上がらない。時間はどんどん押していく。編集は材料が揃ったらそれで終りではない。そこからが勝負、追い込みだ。校閲、差替え、さらにはページ増という可能性すら出てきた。打ち合わせ内容を右から左に流されていたり、それにともなって執筆してもらう担当者が増えたりしたためだ。でも締切り直前の変更は関西時代にも経験してきた。へこたれている暇はない。冊子は八ページ一組が原則、原稿が増えたとしてもせいぜい二、三ページ分。残りをどう対処するか考える。それも段取り八分のうちだ。

そして年末に向け、総務の仕事はまたハードになる。新年名刺交換会の申込み、忘年会会場との具体的な詰め、年賀状、お歳暮も視野に入ってきた。考えるだけで頭が分裂しそうだ。

この原稿の締切りが十一月末、そして記念誌の入稿は十二月初め。両方とも無事入稿となるだろうか…。

取材時に感じたのは、各人の背後に見えるその人の歴史だった。このエッセイも社の記念誌作成の顛末を語るつもりが、半分は私の履歴を振り返る記念誌となった。

人は歩んできた足跡を、何かの形で残しておきたいと思うのかもしれない。
(了)
  

Posted by 南ふう at 20:00Comments(0)もの書き活動

2012年04月30日

もうひとつの記念誌(5)

段取り八分

記念誌は三部構成とした。導入となる第一章「復帰後の歩みと共に」では、あちこちめくらなくても時代の流れが分るように、本文の下の年表に呼応して一ページに三年分の出来事がぴたりと納まる字数で文章を書く。これはかなり高度な技量を要するが、自ら高いハードルを設定した。

関西での仕事の中に、販促物として毎月発行する小冊子があった。家電メーカーからの仕事で、洗濯機やらエアコンやらを各号で一機種、製品特長を説明し、それに関連した特集を、季節感を盛り込みながら組んでいく。制限ページに嵌め込むために文章は極限まで字数にこだわって練る。

十二月号が電子レンジとなった場合は、たとえばクリスマス料理の特集を組む。四ヶ月前の八月に編集を開始するため、真夏に冬の素材や撮影小物を探し回り、頭の中はジングルベルだ。九月になれば並行して一月号の編集も始まり頭の中はお正月、十月はさらにバレンタインデーも同居する。一年十二ヶ月締切りに追われ、その都度ハードルを越えた。一九九一年二月号から一九九六年三月号までの五年間だった。

クライアントとの打ち合せ用に、ラフといわれる叩き台を作る。口頭だけだと互いのイメージが違っていても気付かず、形になってからやり直しが生じる。ラフはそれを回避するためのもので、イメージを視覚化して話を進めると齟齬が少ない。さらに臨機応変のスキルも養われた。ごく稀に、直前になって掲載商品が発売見送りになる場合もあるからだ。

ちなみにグラフィックデザインは商業美術とも訳される。純粋な芸術と違って、大衆に分りやすいデザインでなければならない。イラストや写真などのビジュアルとコピーライティングを組み合わせ、消費者にイメージを伝える。ピンとこないコピーを書き直しているうち「自分で書いた方が早い」となり、ものを書くようになった。

関西時代、パッケージデザインを手伝ったこともあった。特殊な紙を用いることがほとんどで、調達に日数を要する。提出日から逆算してデザインにかける日数を決め、材料を発注しておかないと、いくらいいデザインでも提示できない。段取り八分。だから提出直前になって「紙を注文して」という沖縄のナマナマー(今すぐ)が理解できない。

話が脱線した。記念誌に話を戻そう。

記念事業委員会には、各委員が進捗状況とイメージを共有できるよう、打ち合せ用の叩き台を用意した。資料作成に時間はとられるが、視覚化して了承を取り付けながら進めないと、後でどんでん返しが発生する恐れがある。これも段取り八分のうちだ。

執筆や編集には集中力がいる。常に思考を寸断される総務の仕事中にインタビューの録音再生や起草など不可能だ。残業や休日出勤するしかなく、就業時間外に鳴る電話は、伸びそうになる手をこらえて完全に無視した。

第二章は「プロジェクトを振り返って」と題し、それぞれの担当者に文と写真を用意してもらう。第三章は「主な業務実績」、これまでの受注業務を表にした資料編とする。

数年がかりでシステムエンジニアと協力して進めていた「業務実績データベース」は、必要最低限の形となっていた。文書記録がない第一期から四期までのプロジェクトも、感謝状等から拾い出して入れていた。件名・発注者・竣工年はこれで分る。また完成後の名称が受託件名と違うものは、キーワードも入れていた。例えば「ハーモニーセンター」だと件名では「婦人青年会館」。むろん記念誌を想定したわけではなかったが、ここにきてデータベースが役立った。苦労を背負い込むというより、趣味の延長のような自らの整理癖から始め、亀の歩みで蓄積してきたものだが、これがなければ完全にお手上げだった。

インタビューにおいても、データベースから必要事項をプリントして臨んだ。最初は「昔のことだから覚えていないなぁ」と及び腰のOBの方々でも、在職時の件名から話が弾むこともあった。

編集作業はとにかく多岐にわたる。第二章は、ディレクター的な仕事だ。担当者から上がってくる原稿を、ページ配分を考えながら文章の増減や写真レイアウト等で調整していく。

私の出身校、九州芸術工科大学は、芸術と工学の融合を目指していた。また細部にこだわるミクロの目と、総合的に全体を把握するマクロの目を持つことも学んだように思う。

振り返ると経験や経歴の一つひとつが滋養となって、私という人間を形成している。  

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2012年04月29日

もうひとつの記念誌(4)

母の仕事

子を授からなかったので母の立場では語れないが、子の目線から母の仕事を見ることはできる。

朝起きたら朝食ができていたのは、母が誰よりも早く起きていたからだ。おねしょをしてもお日様の匂いのする布団に寝ることができたのは、母が干していてくれたからだ。病弱だった私が普通の生活を送れるようになったのも、母が心を砕いてくれたからだ。

母の仕事とは、水や空気のようなもの。普段は意識されることがない。だが滞ると、たちまち窮地に陥る。母親が寝込んだ途端、日々の食事に事欠き、洗濯物が溜まり、急に母親の有りがたさが分った経験は、ほとんどの人が持っているだろう。

総務の仕事とはそういうものだ。「設計事務所の総務ってどんな仕事?」と聞かれたこともあったし、電話番ぐらいの暇な部署と思われている節もある。

電話といえば、私は電話が苦手である。プライベートではほとんど使わない。メールという伝達手段ができてからは、なおさらだ。だが仕事ではそうはいかない。しかも関西で仕事をしていたとき、「コールは一回。客を待たせたらアカン」と叩き込まれている。電話が鳴ると否応なしに体が反応するパブロフの犬的悲しさ、業務部の社員の中で真っ先に受話器を取ってしまうのだ。

外線電話だけで、日に百本以上。その度に作業は中断し思考は寸断される。たとえセールスや間違い電話でも、声を荒げてガチャンとはできない。切れた思考回路をようやく繋げるや否や、また電話。毎日がその繰り返しだ。「比嘉さんお願いします」と言われると、「比嘉が数名おりますが…」から始まって、相手が下の名前を知らない場合は業務件名や内容を聞いて見当をつける。「着信があったんだけど」と電話をかけてくる方もいる。三十数人の社員の誰がかけたかなど知るはずもない。「たかが電話」ではないと知っている社員は、「さっき○○にかけたんだけど出なかったので、そこからかかってきたら私ですから」と内線で伝えてくれる。こちらの手間は天と地ほど開く。

取り次ぐ担当者がすぐに内線を受けてくれないと、相手を待たせる失礼はもとより、こちらの手も止ったまま。老化した頭では、作業停止時間が長いほど再開までの時間がかかる。ホワイトボードに何も書かずに外出していると、帰社時間を聞かれた場合の返答にも困惑する。

伝言があればメールで送信する。メールを打つ間にも別の電話がかかる。来客がある。取り次ぐ。洗い物をする。書類提出や受理で県や市町村に出向く。注文品やデータ集計など社内での要望に応じる。郵便物やファックスの仕分け。契約関連書類の作成。広告やアンケートへの回答。封筒や名刺などの印刷物の管理と発注。社用車の法定点検や保険の更新。健康診断の予約。求人の手配と事後処理。倉庫内の整理。中元歳暮、株主総会、忘年会など年中行事…切りがない。雑務が総務の仕事なのだから。

「コピー用紙、あと一箱です」「マーカー、最後の一本使いました」など、在庫が切れないよう連絡をくれたり、「○時に帰社予定だったんですけど、△時になります」と、出先から電話を入れてくれる社員がいる一方、全く意に介さない社員がいる。両者の差は他者への気遣いや想像力の差であり、それは設計という仕事においても無関係でないかもしれない。日常の態度で、業務の仕事ぶりも垣間見える。

総務とは、まさに母の仕事なのである。  

Posted by 南ふう at 20:00Comments(0)もの書き活動

2012年04月28日

もうひとつの記念誌(3)

整理魔

私は整理魔である。物を探す時間がもったいないのだ。これは関西でグラフィックデザイナーをしていた頃から顕著になった。

デザインに用いるロゴ・マークや写植文字など、まだアナログ作業で拡大縮小していた一九八〇年代。デザインスコープという小さな暗室に入り、ハンドルを回してレンズとの距離でサイズを調整し、現像と焼付けを行った。それを「紙焼き」といった。

レイアウト後にサイズ変更で使用しなかった紙焼きも、印画紙や現像液がもったいないせいもあって安易には捨てなかった。だが次に流用しようとしても、必要なサイズの紙焼きを探すのに時間がかかった。時間のロスがばかばかしく、整理整頓が始まった。顧客別、種類別、大まかなサイズ別等に分けて収納しておくだけで、探す時間が大幅に削減された。

フリーになってしばらくした頃、デザインもデジタル化は避けられないと感じ、一九八九年、車が買えるほど高価だったアップル社のパソコンを導入した。整理整頓はパソコンのハードディスク内で進化していった。ほしいデータはすぐ取り出せないと意味がない。

一九九八年に帰郷して今の設計事務所に職を得た。クリエイティブな仕事が好きなのだが、好き嫌いを言える年齢ではなく、製図ソフトで図面のトレースをするパートだった。MacからWindowsへの切り替えや初めてのソフトにやや戸惑いはあったものの、抵抗は少なかった。

その後正社員になり、一九九九年、社のホームページ作成メンバーに加わった。これが整理魔の私にピッタリ合った。デザインの経験はもちろん役に立ったが、コンテンツごとにファイルを整理しなければ、ページは組めない。整理魔の本領発揮となった。

二〇〇三年秋から総務を引き継いだ。ここでも物や情報を探す時間に悩まされた。整理魔の血が騒いだ。不思議なことに整理魔は、探し物をする非生産的な時間はもったいないのに、効率を上げるための膨大な労力や時間は、全く惜しくない。

まずは文具などの収納場所の確定だった。例えば「ファイリング」「筆記用具」など分類別に収納、ラベルをつければ探しやすい。整理していくと、同じものが重複していくつも出てきて、劣化や破損で使えなくなっているものもあった。整理下手だと時間だけでなく経費もロスをする。

次にアナログ書類の整理が必要だった。着手時に提出する経歴書一つとっても、顧客様式がそれぞれ違い、作成の度にあれこれとファイルをめくっては記録を探していた。「業務ファイル管理表」は同じ番号のものが重なっていたり、途中から番号がなくなっていたりして役に立たなかった。二百冊ほどもあるファイルから、いかにして必要な情報を短時間で取り出すか。綴られている内容の把握から始まり、無駄なファイルはないか、どう分類したら効率的か等々、試行錯誤が始まった。

受注業務はプロジェクト番号で識別管理されているが、古い業務は「契約書」「業務別資料」等に分かれてファイルされていた。契約から完了までの書類をプロジェクト番号ごとに一括ファイルしておけば、経緯が分りやすい上に迷うことなく記録を探せるのではないか。

そこで「業務別資料」という曖昧な名称ではなく「プロジェクト記録」という名称で綴りなおすことを業務部長に提案した。さらにプロジェクト以外のファイルも分類を見直し、仕切り紙を入れ、物によっては内容や履歴の一覧表をつけた。同時に「業務ファイル管理表」を作り直し、統合や廃止、電子化済などの変更履歴も残していった。

方向性が見えてきたところで、電子ファイルの整理を並行した。ホストコンピュータの中にあるものと「業務ファイル管理表」の番号を関連付けたり、手順に従って作業がしやすいようフォルダやファイル名の頭に通し番号をつけたりした。

自主的に始めた作業なので業務の合間に細切れに進めるしかなく、ここまでくるのに数年を要した。が、保存先が確定し探す時間が減ることで、間違いなく効率が上がった。それによって生まれた時間をどうするか。

整理魔が次に手を付けたのは、「業務実績データベース」の作成だった。  

Posted by 南ふう at 20:00Comments(0)もの書き活動

2012年04月27日

もうひとつの記念誌(2)

眠れない夜

記念誌作業に取りかかる前に、総務としての最優先業務があった。新社長の就任挨拶状だ。顧客や取引先など発送先のリストを作成して枚数を算出、印刷の見積りを依頼。文面を検討後発注、文字校正。納品されるまでにリストに漏れがないか点検し、宛名プリントソフトに読み込む。五百枚の封筒に宛名をプリントした後のチェックも欠かせない。表外漢字が用いられている氏名は、文字化けを起こすか自動的にゴシックに置き換わっていた。気付かなければ礼を失するところで、その数枚はフォントを変えて再プリントだ。

挨拶状の発送が終わるや否や、社長交替による「入札参加資格」や「取引先登録」などの変更届だ。県、市町村、国の機関や民間などを合わせると六十を超える組織。まずはそれぞれの変更届様式を確認する。添付書類は原本か、コピー可か。ホームページから探したり、記載のないところは電話で確かめる。情報入手の傍ら順次必要書類を作成、郵送。あるいは持参する。

そんな中、先に送った挨拶状への反応が始まった。就任祝いが続々と届き始めたのである。増えていく蘭の鉢の置き場所確保、生花の場合には枯れてくる花の除去や小さな花瓶への移行など、贈り主の厚意に最大限に応えるには、受け取りだけでは済まない。

それが落ち着き始めたころ、今度はお中元の発送と受け取りだ。こちらも単に受け取りではない。宅配業者が来る度に業務を中断して立ち上がり、また別の置き場所確保と贈り主のリスト作成。むろん日常業務は途切れなく続く。

ある日の夕刻トイレに立ち、ふと出勤後初めてだと気付いた。そして飲み物を口にしていないことも。まずい、これでは脱水症状で倒れてしまう。

こんな日々の中、ほんとにできるのだろうか。とにもかくにも、建築部長と私の編集委員二人は構想に取りかかった。他社の記念誌を貰っても「創立○○周年ですね、おめでとうございます」というのが通常の反応、読み進めてもらうために必要なのは「共感」だと思う。幸いにも創業は日本復帰と同じ一九七二年、「復帰後の歩みと共に」というテーマにして、本文の下に簡単な年表を入れるのはどうだろう。建築部長が年表にその年のレコード大賞を入れることを提案してくれた。グッドアイディア。歌は世につれ世は歌につれ、歌でその時代が蘇る。

構想は固まりつつあった。が、雑務は怒涛のように押し寄せ、なかなか手が付けられない。普段なら枕に頭をつけたら一分とかからない就眠優等生なのに、「あれもやらなきゃ。これも…」と考え、寝つきが悪くなった。寝付いたと思ったらガバッと目覚める。

創業者が二〇〇二年に他界しているため、創業当時のことは、ずっと以前に退職しているOBの方々から取材しなければならない。とはいえ質問が的外れだと、得るものは少ない。何をどう聞いてストーリーを組み立てていくか。仕事は「段取り八分」、段取りがいい加減だったり方向を間違えていたりすると、徒労に終ることもある。インタビュー前に知っておきたいことは山ほどあった。

復帰時に高校生だった私は、いわゆるノンポリで問題意識も何もなく、受験勉強を経てそのまま福岡にある大学へ。卒業後二年間だけ沖縄に就職、その後は関西で十九年、計二十三年は県外だ。つまり「復帰後の歩み」を半分以上知らないわけで、勤務先の歴史にも十年余りしか関わっていない。まずは内外の資料収集だった。

眠れない夜を利用して色々と調べ始め、少しずつ資料が集まり始めた。おぼろげながら輪郭が見え始め、取材先にインタビューの申し込みができるようになったのは、すでに八月も半ばだった。  

Posted by 南ふう at 20:20Comments(0)もの書き活動

2012年04月26日

もうひとつの記念誌(1)

所属する沖縄エッセイスト・クラブから毎年刊行される、合同エッセイ集。
ことしは第29集『栴檀』です。この4月に発行されました。



それに載せた「もうひとつの記念誌」、社の記念誌と自分史を二重構成にしたエッセイです。写真の右にあるのは、「抜き刷り」という自分のエッセイだけの冊子。
ハードカバーの本は配本に限りがあるので、みなさん「抜き刷り」も依頼するのですが、私は今回初めて注文してみたんです。

「もうひとつの記念誌」は、いくつかに小分けにし、小見出しをつけた構成。なので、少しずつブログにアップすることにしました。
ただし画面で読みやすいよう、「字下げの段落」にあたるところは「一行空き」に変えました。
きょうはまず、プロローグから。


もうひとつの記念誌

南ふう

私の勤務先が、二〇一二年二月に創立四十周年を迎える。

通常なら一年以上前に取り掛かる記念事業の準備だが話が出たのは二〇一一年六月。その時点ですでに八ヶ月を切っていた。委員会が結成され、記念事業の検討を開始。ゴルフコンペ、広告、屋上看板設置、記念パーティー…いくつかの案の中に記念誌発行もあり、消去法で残ったのが記念誌だった。

設計事務所である当社は、当然ながら技術者は設計が本分であり、編集作業の大部分は総務である私にかかってくる。ただでさえ計画に無理がある短期作業、すぐにでも準備に取りかかりたかったが、そうはいかない事情があり…。

このエッセイはその顛末記になるはずだった。  

Posted by 南ふう at 20:03Comments(0)もの書き活動

2012年04月21日

春雷

遠くで雷がゴロゴロと鳴っています。けっこう長い時間。
夕方から降りだして、外は大雨。
家の中にいる分には、とても好きな状態です。
車の騒音なんて聞こえないし、こんな天気には暴走族が走り回ることもありません。

雨の音も好き。気温の低い今の時期、しっとりとした空気感も好き。
そして雷の音、好きなんですよ、これが。
気分のもやもやを吹き飛ばしてくれるような、そんな気がします。
これが「ドッカーン!」と落ちる音も、実はスカッとして大好きなんですけどね。
「変わってる」とよく言われます、ハイ。

しばらくの時間、春雷のゴロゴロを楽しみます。  

Posted by 南ふう at 20:41Comments(0)季節

2012年04月13日

視界不良

昨日(4月12日)は、すごく視界が悪かったんです。
黄砂でもないし、霧でもないし、スモッグ? といぶかしんでいました。
今日、やっと新聞記事で解明。「もや」だそうです。

本島でもや
沖縄気象台によると、沖縄本島地方で12日午前2時ごろから夜にかけて、もやが観測された。上空がかすみ、午後3時ごろの那覇市内では見通せる距離が4キロ程度だった。

会社の屋上から撮った写真がこれ。視界不良で、海も全く見えません。



そんな新聞記事を読み終え、さあ、出勤しようかと思っていると、テレビ番組が中断され、北朝鮮がミサイルを発射した様子。ただし、情報が錯綜して右往左往でした。
しばらくして、ようやく「発射したものの1分半ほどで空中分解したようだ」との発表。
それにしてもJアラートは鳴らないし、正確な情報は掴めないし、日本の危機管理能力は相変わらずでした。

阪神大震災のとき、自衛隊員は出動したくてもどんな状況か情報がなく、テレビの画面から知るしかなかったお粗末ぶり。その時「日本は有事の際、負けるな」と思ったんですが、同じ事が再現されたようです。

まったくの視界不良、大丈夫でしょうか、日本。  

Posted by 南ふう at 23:31Comments(0)

2012年04月05日

ピンクのギフト

4月もすでに5日。
一昨日、またお祝いのお花が届きましたが、アップするのが遅くなりました。
ありがたいですねぇ、皆様のおかげで40周年を迎えられたようなものです。



先日、友人が「若い頃、業者さんを大切にするようにと言われたことがある」と。
私もまったく同感です。業者さんに大きな態度をとる人を見ると、「あなた、何様?」と言いたくなりますよね。

社の記念誌も、印刷屋さんのスタッフの頑張りのおかげで、とてもきれいな仕上がりになりました。ありがたいです。
それで「4月になって少し落ち着いたら、チョコレートを持ってお礼に行く」と伝えていて、今日ようやく実現。



写真はケイタイのカメラで、色が悪いですが、とてもきれいなピンクのパッケージ。
社員にはブルーの小さな箱入りで、顧客や株主に送るギフトはこのサイズ。
スタッフさんも喜んでくれました。

そうそう、3月一杯の印刷は無料で電子ブック化してくれるというお約束でした。
電子ブックは下から直接開くことができます。
http://i.wook.jp/000218/218009/  

Posted by 南ふう at 22:30Comments(0)

2012年04月01日

今日から4月

ここのところ、引きこもりたいほど気が沈んでいます。

好事魔多し。
無事に記念誌の発行が成り、たくさんの方々から40周年のお祝いと称賛をいただきました。
印刷屋さんからも、ビオスの丘から直送の、きれいな欄の鉢をいただいています。
感謝です。


でも、いるんです。面白くないと思う人が。
その人からの電話で、今回も一瞬にして胃が重くなりました。

以前は「何なの、このお歳暮」とクレーム。
「いつも入っている宝くじが入っていない。社長が代わるとこうも待遇が変わるの?」
そんなつもりは毛頭ありません。むしろ浦添市商工会議所が頑張って開発している「浦添桑菓撰」というお菓子を応援したかっただけでした。
「もらったお歳暮にケチをつける人がいるんだ…」
唖然とし、ほんとに病気になりかけました。胃が重くなり、食欲不振に。
円形脱毛症はそれも一因だったかも知れません。

今回も電話で散々罵倒され、イチャモンとしか思えないクレーム。
この沈鬱な気持ちと胃の重さ、どうしてくれる? またハゲそうです。

でも今日から4月。気持ちを切り替え、ほんの少しでも元気を搾り出さなければ。  

Posted by 南ふう at 09:25Comments(0)

2012年03月25日

タンゴには赤と黒

先日写真をアップした、3月25日のおさらい会に着る予定だった服。
レッスンに行くと、たいていの人は黒と赤の服でした。
ひとり浮いているような気が。そこで色を揃えることにしました。



赤いスカートは一年半前に手作りしたもの。
下に何もはいてないと危険、危険。
黒の比較的スリムなスカートをはき、上も黒にしました。

今日はこれでタンゴを決めてきます。  

Posted by 南ふう at 11:56Comments(2)ダンス

2012年03月22日

無事、納入されました

今日が、記念誌の納入日。
1500冊です。
一冊あたり6~7ミリ厚として、横に並べると10メートルぐらいだろうと予想。
すごい幅です。
かなり前から納入されたときの置き場所確保のため、せっせと棚を空けていました。



で、実際は40冊単位で梱包され、それが37個。と20冊分が1個。
案の定ものすごい量でした。棚を空けていて正解です。

とりあえず社員に一冊ずつ謹呈。紅白饅頭がわりに、ファッションキャンディのチョコレートがセットです。
「100個以上注文すると、熨斗かタグを無料でデザインしておつけします」とのことでしたので、どうせなら捨てずに利用してもらえる「しおり」の形にしたいと提案。
なかなかでしょ。


明日から郵送用のセッティングです。
宛名ラベルは、もう580箇所分ほど印字済み。
それを透明封筒に貼って、冊子の表紙に謹呈紙をはさみ、封入です。

作業から解放されるまで、あとしばらく。  

Posted by 南ふう at 22:40Comments(0)

2012年03月20日

沖展2012

春分の日、朝一番に沖展会場へ。
何でも朝がいい。混まないしね。でも早くからけっこう皆さん来場してました。

最近、個人的に絵画はちょっと感情移入しにくくなってきました。
印象に残った一枚と聞かれれば、「ターブックヮー」でしょうか。
ガラス工芸にはすごく惹かれるものが多かったです。
紅型も素適でしたが、あえて一点といわれれば「ランタナ」。モチーフが斬新でデザインもよかった。

それよりお目当ては漆芸でした。
「もしかしたら知り合いのNJさん、出してないかな?」
ありました!
「四方盆」という螺鈿の作品。すごくシンプルでモダンでスタイリッシュ。
入賞はしてませんが、そこに展示されているってことは、選抜されたんですよね。
よかったです。
来週あたりお会いすることにしているので、その話ができます。

最後に益子焼コーナーへ。
3.11で栃木県も被害が大きかったそうで、沖縄タイムスも復興の応援をしているつながりから展示即売会をしていました。
たくさんの中から私の手元に来た物。



いつもは百円ショップの食器が多いですが、たま~にお気に入りの物を買うことがあります。そういうので食事をすると豊かな気持ちになれますよね。

これだと煮物とかチャーハンとかでも、高級そう。  

Posted by 南ふう at 13:10Comments(0)民芸・芸能

2012年03月17日

発掘調査現場見学会

2012年3月17日、午後1時半からの浦添城跡の発掘調査現場見学会。

今回公開されるのは、平成21~23年度の3年分の発掘調査。
場所は城跡の南西側から南東側の城壁付近です。
写真は、今回発掘された一部です。


左側の奥に露出している壁面は城壁の上部だということが分ります。喪失された部分を想像で補うと、全体像がイメージできますね。
右側に人がたくさんいる場所が、門だったと考えられているそうです。

14~15世紀の旧城壁のほか、16~17世紀の造られたと思われる新城壁も発掘されていました。
市の文化部職員の方の説明によると、新城壁は石も大きく積み方も丁寧だそう。

旧城壁は、外面(ソトヅラ)はキレイに積んでいても、内面(ウチヅラ)は雑なところが多いそうで、思わず「ソトヅラが良い」という言葉を思い出しました。

一番興味深かったのは、新旧城壁が複雑に重なった部分。
16~17世紀頃の通路かもしれないという石敷が、きれいに出てきていました。




ちょうどそこにおられた浦添市の文化部長に、「この石畳が城壁と重なる部分に、門があったとしたら面白いですね」と言うと、「確かなことはまだ言えないんですが、私もそうじゃないかと思います。そこから大量の瓦が出てきているんです」とのこと。

歴史とか考古学は、分らない部分を想像で埋めていくところに、ロマンを感じます。

出土品もテントの中で展示されていました。


博物館などに展示される前は、じかに手で触れることにできる貴重なチャンスです。
ほとんどは14~15世紀のもので、16~17世紀のものはわずかとか。
中に、鳥の頭部の磁器がありました。
とても珍しいもので、装飾品か水差しの一部と考えられ、類似出土品が他所にないか調べているところだそうです。  

Posted by 南ふう at 18:23Comments(0)歴史

2012年03月15日

印刷立会い

初めて、糸満工業団地に行きました。
印刷会社さんの工場があるのです。

会社の記念誌、こだわりの人たちによって何度も原稿差し替えなどがあったため、営業さんから「印刷の立会いをお願いできますか」と言われました。
私がOKを出して責任をとるのが筋ですよね。

というわけで朝一番に行ったのですが、糸満市の西崎は、とにかく広い埋立地。
印刷立会いなんてのも、初めての経験。
部屋に入るとインクの匂い。
印刷工場の会社案内とかで見たことのあるような、大きな印刷機がずらり。ワクワクしました。

時間をかけて丁寧に色合わせをしてくれ、最終的に表紙がプリントされると、「キレイ!」の声が上がりました。



社に持ち帰ってケイタイで撮っているので全然ですが、すごく深みのある色に仕上がっています。

3月22日納品予定。大変楽しみです。

そうそう、表紙の仮印刷で右側と上に、写真が少し不足していて断裁のとき白場が出る懸念があり、色を延ばす必要があると判明。
その意味でも、大変意義のある立会いとなりました。  

Posted by 南ふう at 19:09Comments(0)

2012年03月11日

カラダは正直

先週ダンスのレッスンに行った際、男性が二人、きれいに散髪してきていました。
「あれ? 何なの、二人揃って。あ、おさらい会ダンパチだね」
先生の言葉にみんな大笑い。沖縄では散髪をダンパチ(断髪)といいます。
月末のおさらい会に向け、身奇麗にしているわけですね。

そうか、私もそろそろダンパチしとかなきゃ、というわけで、今日行ってきました。
もう十年来のヘアサロン、雑談で軽口を叩いていると。
「あの、言おうかどうか迷ったんですけど」
と遠慮がちな声。
「いや、もう生えてきてるから大丈夫ですなんですけど」という前置きに、まさか。
「え、ハゲがあるの?」

そう、知らないうちに、なんと円形脱毛症になっていたんです。

心当たり、大ありです。なにしろ記念誌のことでストレス一杯でしたから。
「もう生えてきてるから」という言葉がそれを裏付けます。
2月15日に写真を含むすべての原稿を出し終えて、虚脱状態になったほど。
ここ一ヶ月足らずで生えてきてる、ってわけ。
ほんとにカラダは正直です。

胃も痛く、沖縄そばよりうどんが食べたくて、あちこちうどん屋さんを回っていました。
まあ、「生えてきてる」ことに安堵です。
これから堂々と「ハゲるほどストレスだったんだぞ!」と叫べます。  

Posted by 南ふう at 15:56Comments(0)